はじめに

こんにちは、やななです。
今日は7歳の息子が徒歩通学をやめた話をさせてください。
「小学生になったら、ランドセルを背負って登校班で登校するのが当たり前」
皆さんは、そんな風に思っていませんか?
私もそうでした。
でも、現実はちがっていました。
わが子は、1年生から情緒支援級に所属しています。
この地域の支援級の子どもは、原則「学校までの付き添い」が必須です。
それでも入学当初は、当然のように通学班に入って登校するものと思っていました。
実際、支援級のほとんどの子は、通学班で登校してきています。
しかしわが家では――
紆余曲折を経て、現在、車通学に落ち着きました。
「普通」から離れることへの不安、厳しい現実に苦しんだ日々、今の選択をした理由について、今日は綴っていきます。
同じように、登校班での通学に悩んでいる方に届いたら、嬉しいです。
息子の登校しぶり、暴言に悩む日々――毎朝の「おんぶ通学」

息子は、ASD(自閉スペクトラム症)特性が強く、環境の変化にとても弱い子どもです。
新しい場所や人、活動に慣れるまで、人の何倍も時間がかかります。
それゆえ、入学前から支援級の見学に行ったり、体験入学したり、準備をしてきました。
入学直後は、息子も気を張っていたのか、よく頑張っていました。
でもしばらくした頃から、じわじわと登校拒否がはじまりました。
行きたくない学校に、行かなくてはならない。
そのストレスからか、登校班の待機場所で、暴言を吐き散らすように。
ポツリと「こいつヤバいわ」と言う高学年の子ども。
「学校でも叫んでたよ」と教えてくれる同学年の子ども。
些細なひと言に、私の心もまたじわじわと疲れてしまいました。
そのうち、途中で座り込んで動かなくなり、おんぶして学校まで歩くようになりました。
やがて、家を出て1メートルで座り込み、登校班までたどり着かない日が続くように。
息子は当時25kgほど、それにランドセルや手さげ袋。
毎日毎日、体が悲鳴をあげていました。
そんな状態でも、登校班の中の優しい子どもが、息子とわたしに寄り添ってくれていました。
でも、登校時間がぎりぎりになってしまうので、本当に申し訳なくて。
先に行ってもいいんだよと声をかけても
「わたしは大丈夫だよ、息子くんが大好きだから」
と、気を遣って一緒にいてくれます。
「いつも遅くなっちゃってごめんね」
そうやって迷惑ばかり掛ける私たち。
登校するのがどんどん辛くなっていきました。
限界がきた母子、心と体の疲れ

「迷惑」とはっきり言われた日、崩れた心
先生を交えた通学班の会議が、学校で定期的に行われていました。
ある日、その中で「息子くんはお母さんに任せる、班のペースを乱さない」という約束事が決まったと、子ども達が教えてくれました。
迷惑を掛けていることが明確にされて、本当に辛く、申し訳ない気持ちになりました。
その頃には、家を出る瞬間からおんぶに抱っことなっていた息子。
ここまでして、ここまで迷惑を掛けて、歩いて行く必要があるの?
それ以前に、そこまで行きたくない学校へ、行かせていていいの?
あの日「もう無理だ」とわたしは思いました。
考えながら、息子を背負って歩いていて、涙が出てきました。
それでも手放せなかった「普通」
「皆歩いているのに、うちだけ車通学なんて」
そんなに辛い毎日なのに、まだそうやって思っている自分がいました。
もうとっくに限界だったというのに。
それでも「普通」を手放せませんでした。
あろうことか、息子のことを嫌う夫に、登校付き添いを任せるようになりました。
夫を怖がる息子は、泣きながらもスタスタと自分の足で歩くように。
でも、本当に可哀想なことをしていたと思います。
引きずるように学校へ連れていかれて、腕に痣が残っている日もありました。
わたしも心身ともに限界だったとはいえ、あの頃のことは、心から反省しています。
車通学という選択

先生に車通学をお願いした日
車通学を検討しはじめたのは、1年生も半分を過ぎた頃でした。
夫がうつで体調を崩して、休職することが決まったのです。
物理的に、わたし1人で2人の子どもを徒歩で送迎するのは、難しい状況でした。
「これから、ひとりで娘を保育園に、息子を学校に連れて行かないといけない」
「車で通学しても良いですか?」
担任の先生に、思い切って話をしました。
するとあっさり「いいですよ、明日からでも大丈夫です」と返答が。
今思えば、わが家の複雑な状況を、先生も元々理解してくださっていたのだと思います。
心底ほっとしたことを憶えています。
車通学がはじまってから、その後
結局、車通学が毎日となったのは2年生になった春のこと。
誰にも迷惑を掛けずに、楽に登校・登園できる今。
「どうしてあんなに頑張っていたのかな」と思うほど、楽になりました。
新学期に入り、1年生の頃と同様、登校渋りが激しくなってしまった息子。
でも、車通学で落ち着いた今は、笑顔で登校できています。
気が重い母子登校も、車通学のおかげで、本当に楽にできていると思います。
これが徒歩通学だったら。
30Kgちかい息子をおんぶして、娘の手をひいて学校まで歩くことになっていたはず。
負担が大きすぎて、不登校まっしぐらだったと思います。
徒歩通学を頑張っていたあの頃のわたしへ

通学班で優しく関わってくれた子は、今も会うたびに声を掛けてくれます。
(今は不登校気味になってしまい、会う機会も少なくなってしまいましたが……)
以前までは、放課の時間に遊びに誘ってくれることもあったみたいです。
“「普通」にこだわって、無理して通学班に入らなくて良かったよ”
1年前のわたしに、声を掛けてあげたいです。
「無理して頭を下げて通学する毎日」より「親子ともに笑顔で通学できる毎日」の方が、ずっと、ずっと良い。
今なら胸を張って、そう言えます。
おわりに
通学のことで悩んでいる方がいたら、ぜひ1度、学校側に相談してみてほしいと思います。
「普通」にこだわったり、他人の目を気にしていたあの頃のわたし。
今なら「無理して親子で辛い思いをする必要ないじゃん!」と笑って言えます。
それでも、悩んでいたわたしだからこそ、あなたの葛藤もよく分かります。
悩んでいるのは、あなたひとりじゃないです。
車通学だって、立派な通学手段。
「恥ずかしい」と思う必要なんてありません。
何より大切なのは「あなたとお子さんの笑顔」です。
少しでも、毎日の通学が楽になりますように、心から祈っています。
コメント
初めまして、5歳児を育てる母です。
いつもお疲れ様です。
お伺いしたいことがあるのですが、息子さんを妊娠された初期前後に、高熱って出ましたでしょうか。
あと、新生児期からの愛着形成についてのお考えを教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
佐藤さま、コメントありがとうございます、大変うれしいです。
息子を妊娠した時には、熱が出たり、風邪をひいたりした記憶はないです。
新生児期からの愛着形成について、いま考えたこと、お話させてくださいね。
月並みな言葉ですみませんが「安心」を与えることが何より大切だと思っています。
愛着形成は「いつも大人がそばに居てくれて、反応してくれること」が基盤になるのではないでしょうか。
とくに新生児期は、泣くことでしか自分の気持ちを伝えられない時期ですよね。
もちろん大人は「なんで泣くのか」わからずに、困ってしまうことも多々あるとおもいます。
「いまどうしてもトイレ!」って、すぐに対応してあげられないことだってあるはずです。
でも、頑張って赤ちゃんのきもちを受け取り、何らかの反応を返してあげること、その繰り返しが、のちのちの愛着形成に繋がっていくのではないでしょうか。
発達障害のある子どもの愛着形成のこと、またいつかブログ記事に書きますね。
また参考にしていただけたら、いつでも遊びに来ていただけたら、嬉しいです!