はじめに
こんにちは、やななです。
わが家には、ASD・ADHDの特性がある小学生の息子と、4歳の娘がいます。
今日は、4歳の娘の話をさせてください。
娘は、診断がつかないけれど特性のある「発達障害グレーゾーン」の子どもです。
そして同時に、ASD・ADHDを抱える兄の「きょうだい児」でもあります。
娘は繊細な子どもで、よく泣き、よく怒ります。
それでも基本は優しく、おっとりした性格です。
対して息子は、声が大きい活発な子ども。
良くも悪くも、どこへ行っても、息子の方が構ってもらえることが多いです。
そんな兄妹と私の、反省も兼ねた、今までの物語です。
その頃のわが家の風景
息子は、とても衝動性の強い子どもです。
Youtubeを観ていても、CMになった途端、即座に動き出します。
そうでなくとも、集中できなければ3分と持たず、テレビの前にいられません。
暇になったら何かしていないと落ち着かない息子。
いつからか、隣に座る娘にちょっかいをかけるようになりました。
娘が泣いて嫌がるので、息子の衝動性が強い日は、ひたすら2人の真ん中に座ります。
そんな休日は、おちおち家事もしていられません。
また、息子は「1番」へのこだわりが非常に強い子どもです。
玄関で靴を履く順番、椅子に座る順番、ご飯を食べ終わる順番。
どうしても、娘に負担を掛ける場面が多くありました。
去年、まだ夫がいた時は、休日、娘と夫が2階で過ごしていました。
夫は最後まで、息子の特性が受け入れられませんでした。
多動や衝動性を許せなくて、一緒に過ごす事ができず、私と息子は常に一緒にいました。
そんな歪な関係性が、少しずつ娘を蝕んでいったのです。
娘が「我慢できなくなった」日のこと
ある日、保育園にお迎えにいくと「お母さん」と呼び止められました。
「最近、娘ちゃん、おトイレの失敗が多くて」
「廊下のある場所に行くと“お兄ちゃんが怖い”と座りこんでしまうんです」
とてもショックでした。
それと同時に、娘と私の時間が全く取れていなかったことを反省しました。
息子が年長の時は、週1回、息子の療育の時間に2人でゆっくり過ごす時間がありました。
それが、小学校に上がってからというもの、そういう時間を持てていなかった。
息子が初めての不登校になった時期も、その頃でした。
不登校になり、情緒が不安定な息子の暴れように、両親とも参っていました。
パートに家事に、忙しい日々を過ごしていることにかまけて、娘のフォローができなかった。
頑張って、兄からの暴力暴言から守っていたつもりだった。
そんな言い訳はできません。
それを見て、聞いて、感じているだけで心が傷ついて当たり前。
私は青ざめて、すぐにかかりつけの児童精神科へ、娘を受診させました。
先生は言いました。
「きょうだい児は、どうしても被害を受ける立場になってしまう」
「ホッとした時に、お兄ちゃんのことがフラッシュバックするんだね」
「すぐにカウンセリングが受けられるよう予約をします」
カウンセリングに繋がれたことで、ひとまずホッとしました。
でも、それだけでいけないことも分かっていました。
その日から、娘とあらためて向き合うことを決めたのでした。
「きょうだい児」という存在
その頃、私は週3~5日のパートをしていました。
わたしの休日は、なるべく保育園を休ませて、2人の時間を作るようにしました。
娘の大好きなドーナツ屋さんで、向き合ってドーナツを食べる。
その時間の、娘の嬉しそうな顔を見て、涙が出そうになりました。
それまで娘は「お兄ちゃんが怖い」と、家で言ったことがありませんでした。
喧嘩も多いけれど、仲良く遊んでいる時もある。
だから「大丈夫」だと、思い込もうとしていました。
でも休日、父としか過ごせない娘。不満も沢山あったでしょう。
母と一緒に居たくても、兄が怒れば、父と過ごすことになってしまう。
父といる時も、タブレットを与えられ、大体1人で遊んでいる状態でした。
その頃は、ワガママもほとんど言わなかった。言えなかったのでしょう。
父が兄にキレて、物に当たりながら2階に行くと、娘は言うのです。
「私が行ってくるよ。私が行けば、パパは元気になるから」
父のこと、兄のこと、もちろん私のことも、よく見ている。
人一倍我慢して、わがままも言わずに暮らしている。
娘を「きょうだい児」らしい子どもにしてしまっていたのは、私でした。
「お兄ちゃんが暴れてるから、別の部屋に逃げて」
兄を抑えながら、娘に叫ぶ。
そういうわが家の1コマも、娘にとっての日常になっていました。
でも、そのすべてが娘の負担でしかない。
娘に甘えてしまっていた。
こんなに幼い娘に。
娘のちいさな心と体に、どれだけの苦労を掛けてしまっているか。
障害児の親は、きょうだい児である子どもを、何倍も手を掛けて育てる必要がある。
身をもって、経験しました。
4歳児のカウンセリングと今
カウンセリングは、親と子のプレイセラピーという形で行われます。
娘の遊びを観察して、言葉に出していく。
その先生と娘との関わりを、親が見て学ぶ。
先生を交えた「スペシャルタイム」に近いものだと感じています。
月1~2回のその時間は、娘にとって大きな癒しになっているようです。
次第に保育園でお漏らしすることもなくなっていきました。
カウンセリングの日は、保育園をお休みさせています。
目いっぱい、娘の大好きなことをする日として、公園に行ったり、ラーメンを食べたり。
娘がワガママを言ってくれる今が、私は幸せだと感じています。
おわりに
障害児を育てることは、本当に大変なことです。
そして「きょうだい児」として生きる子ども達も、同じくらい大変な思いをしています。
つい手が掛かる障害児に手も目もとられがちな日々です。
それでも、我慢して生きる子ども達のケアも、とても大切なこと。
どうかそれを忘れないように生きていきたい。
自分自身に言い聞かせながら、ここに書き記しています。
「生きているだけで花丸」な、ギリギリの綱渡りをするような日々。
大変な毎日ですが、2人の子ども達の笑顔が少しでも増えるよう、頑張っていきたいです。

コメント