はじめに

こんにちは、やななです。
今日は、授業が受けられなかった支援級1年目の日々を綴ります。
入学時から、情緒支援級に在籍している息子。
1学期の途中から、授業にほとんど参加できなくなりました。
教室には行けても、席に座って話を聞くことができない。
音楽や体育など、皆で活動する授業には、まったく出られない。
プリント学習も次第にやれなくなっていく。
そんな日々が続く中で「学校に行かせる意味はあるのかな?」と悩みました。
でも、先生の対応、そして何より息子の心の変化を見ていくうち、少しずつ「それでもいいんだ」と思えるようになっていきました。
授業が受けられない支援級の子が、学校で実際にどんなふうに過ごしているのか。
そして、親としてどう受け止めてきたのかをお話しします。
息子が授業に参加できなかった理由とは?

4月、入学してすぐの頃は、授業を受けて、必死に頑張っていました。
支援級の小集団の中で授業を受け、プリントをきちんとこなして、帰ってきていたのです。
でも、5月頃から次第に「つまらない」「楽しくない」というようになり。
その頃から「教室から勝手に抜け出してしまいます」と報告を受けるようにもなりました。
もともと「集団の中にいること」が苦手な息子です。
感覚過敏から、人の中に居ることが、しんどいのでしょう。
また、学習障害による文字の読みづらさも理由だったと思います。
文章を見ても読めない、書くのも苦手。
「学習」というものの楽しさが見いだせないのかもしれません。
授業が、ただただ苦痛な時間に感じてしまった息子。
学校生活が「つらいもの」になりつつありました。
学校での実際の過ごし方、試行錯誤あれこれ

まずは「安全な脱走」を目指す
そのうち、校内で「息子の居場所がわからない時」が増えてしまいました。
このままでは校外へ出ていくかもしれない。
私も、先生方も、誰もが不安になる事態が起こっていました。
話し合いの結果、まずは「安全な脱走」を目指すことに。
機転を利かせた担任の先生が「ここへ出かけます」カードを用意してくれました。
「行き先カード」を先生に渡して、引き換えに、首にかけられる「許可証」をもらえる制度です。
これによって「許可証」がない時は、学校中の先生が声を掛けてくれるようになりました。
最初こそ勝手にいなくなっていた息子。
落ち着いている時に説明を繰り返すことで、きちんとカードを渡せるようになったのです。
「楽しく過ごす」から「授業に参加できる」まで
「安全な脱走」が叶ったら「楽しく過ごすにはどうするか」を考えることに。
SSW(スクールソーシャルワーカー)さんと先生方と、会議を繰り返しました。
結果、先生方のご厚意で、支援級のクールダウンスペース以外に、保健室や職員室、校長室にも、息子が過ごせるスペースを作ってもらえました。
別室での対応を、当たり前のようにしてくださったのです。
息子が脱走するのには「居場所がない不安」も関係していたのでしょうか。
「安全に過ごせる場所」が増えることで、同時に、教室にいられる時間も増えていきました。
その頃、担任の先生が「ご褒美がもらえるシール表」を用意してくれました。
1時間授業を受けられたら、シールを1枚もらえる制度です。
ご褒美として、息子の好きなキャラクターのシールや、スクイーズなど、いろいろと準備をして頂けました。
学校でパニックを起こして途中で帰ることもあった息子ですが、徐々に最後まで過ごせるようになり。
だんだんプリントを持って帰ってくるようにもなって、とても嬉しかったことをおぼえています。
その頃には、もう1年生の3学期になっていました。
親のわたしが「ゆっくりでもいい」と思えるようになるまで

1年かけて、ゆっくりゆっくり、息子のペースで進んできたように思います。
それもすべて、息子を支えてくださる優しい先生方のおかげだと、感謝しかありません。
ここまで、まったく焦りや不安がなかった訳ではありませんでした。
先生方には、迷惑ばかり掛けて、いつも申し訳ない気持ちになっていました。
周りの支援級の子が、授業をきちんと受けている姿を見て、勝手に情けなく感じました。
「なんでうちの子は、皆と同じように頑張れないんだろう」
どうしても、そう思ってしまう日がありました。
それでも。
児童精神科の先生から「毎日通えているだけで凄いこと、ぜったいに無理はさせないで」と言ってもらえたこと。
SC(スクールカウンセラー)の先生から「息子君なりに“学校という新しい環境”に、一生懸命、慣れようとしているんですよ」と助言してもらったこと。
いろいろな先生に何度も相談し、気持ちを吐き出していったことで、次第に「息子は今、精一杯がんばっているんだ」と思えるようになっていきました。
「ゆっくりでもいい、その分、人よりたっぷり長生きしてね」
わたしも1年かけて、そんな気持ちで、息子の歩みを見守れるようになっていったのです。
一方で、学習面の遅れは、日々大きくなっていきます。
今後どうフォローしていくのかは、やっぱり頭を悩ませています。
学習支援の方法は、今後の課題として、がんばって模索していかなければなりません。
何にせよ「息子のあゆみを見守り、後ろからそっと支える」という気持ちは、忘れないようにしたいです。
おわりに
授業が受けられないどころか、脱走まで繰り返すようになった日々。
「学校に通う意味」を何度も何度も、考えました。
でも今では、息子が「安心して過ごせる場所が、学校にある」というだけで。
それだけで、十分意味があるんだと思えるようになりました。
子どもたちはもちろん、大人のわたし達だって、みんな「得意なこと・苦手なこと」は違います。
少しずつ、自分のペースで、前に進めばいいのです。
そう思わせてくれたのは、息子と、息子に関わってくださった沢山の大人たちの存在でした。
同じように悩んでいる方がいたら、どうか伝えたいです。
「できないこと」より「今できていること」に目を向けてほしい。
「今できていること」を一緒に喜んであげてほしいです。
わたしも、まだまだ不安や迷いの中にいます。
学校で支援を受け、安心して過ごせるようになった息子。
2年生になってから、不安がまた大きくなり、不登校になってしまいました。
今は、午前だけ母子登校する生活になっています。
それでも、今日もなんとか学校へ行って、笑顔で過ごしてきた息子へ。
「よく頑張ったね」と声をかけてあげたいです。
わたしたちのペースで、これからも、一緒に歩いていこうと思います。
\多動のある息子、授業中の必須アイテムでした!/

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