はじめに

こんにちは、やななです。
今日は、現在小学2年生の息子が「発達障害(ASD・ADHD・LD)」と診断される前、2歳〜3歳だった頃の様子を振り返っていきます。
「発達障害(ASD・ADHD・LD)」と診断されている、現在小学2年生の息子。
前回の記事では、息子が0歳~1歳だった頃のことを振り返りました。
若干の違和感を覚えていた、1歳頃の息子の様子。
2歳、3歳と年齢を重ねるごとに、はっきりと確信に変わっていったのを今でも覚えています。
「もっと早く療育に行っていれば」
そんな後悔の思いも込めて、息子の2~3歳頃の様子を振り返っていきたいと思います。
わが子の発達に悩む、あなたのヒントになれば嬉しいです。
長くなりますが、お付き合いよろしくお願いいたします
破天荒すぎた2歳|ASD・ADHDの前兆?

独自の言語「息子語」を使っていた
言葉も早く、1歳後半には3語文を話していた息子。
なぜか意味不明な「宇宙語」を使って話すことが、よくありました。
たとえば「うーちーぱ」。
これは「ごめんなさい」という意味でした。
日常の会話は流ちょうなのに、時々こんな「息子語」を使っていました。
ASD(自閉スペクトラム症)の特性だったのか、いまだにはっきりとは分かりませんが、
他の子には見られない行動だったのではないかと思います。
突飛な行動が多すぎた
2歳頃の母子手帳には、こう書かれています。
「何をするかわからず、いつも目が離せません。」
まさにその通りで、10回大丈夫でも、11回目に突然の問題行動が起こる毎日でした。
2歳の半ばには、もうペラペラと言葉を話していた息子。
当然、こちらの言葉も理解しているはずなのに、とんでもない行動に出ることが沢山あったのです。
上記のことは、本当に日常茶飯事でした。
やってはいけないこと、言葉で何度も何度も説明していた毎日。
息子も「もうやらないよ、わかったよ」と言っていました。
それでも忘れた頃に突然、びっくりするようなことを仕出かしてくれていました。
今思えば、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の衝動性の現れだったのだと納得できます。
でもあの頃は「何が起こるんだろう」と、本当に毎日ハラハラドキドキの連続でした。
毎日癇癪との戦いだった3歳

とにかく癇癪・他害に苦しむ毎日
この頃が、一番癇癪が長く、激しかったと思います。
まだ気持ちを言葉で十分表現できない分、
暴れることでしか発散できなかったのかなと、今では思います。
当時わたしは、第2子の妊娠中。
ただただ生きるのでも必死な中、癇癪を受けとめる毎日に疲労困憊。
赤ちゃん返りも重なっていたのでしょうが、心も体も限界でした。
気に入らないことがあると、30分~1時間ギャンギャン泣いていることも、ざらにありました。
近づけば、小さなこぶしや足で、思い切り叩いたり蹴られたりします。
でも、離れても離れても、足もとにすがり着いてくるのです。
「わたしはどうすればいいんだろう?どうしてあげたらいいの?」
毎日毎日、戸惑いながら、息子を抱きしめてなだめる日々でした。
集団行動がまったくできなかった
コロナ禍に入っていて、なかなか他の子ども達と遊ぶこともできなかった頃です。
わたしも第2子の出産を控え、毎日ふたりきりで過ごすのに限界を感じていました。
問い合わせた近隣の園にたまたま空きがあったため、満3歳での入園を決意。
そして入園して1ヶ月経った頃、遠足がありました。
産後の体をひきずって、息子と参加したわたし。
そこで息子とまわりの子を較べて、愕然としました。
他の子が、パパやママとレクリエーションに参加している中。
息子はその周りをただただグルグル走り回っています。
お友達と公園の遊具であそぶ子どもたちの中でも、興奮しきった様子で、ひたすらグルグル。
まるで、1歳頃の集団レクの様子と変わりがなかったのです。
この日「ああ、この子は発達障害があるんだ」と確信しました。
3歳8か月で「ASD」の診断を受けて思ったこと

遠足の日から診断にたどり着くまで、半年以上かかりました。
診断を受けた時、わたしは心からほっとしました。
やっと、この「育てづらさ」を見つけてもらえたような、そんな思いがしたのです。
わが子の「育てづらさ」に悩むあなたがいるなら、
どうか自分の勘を信じて、いろいろな場所に相談へ行ってほしいと思います。
1歳の頃の「何かおかしい、周りの子と違う」という、親の勘。
もっと自分を信じて、たくさんの場所に掛け合っていたら良かった。
後悔しても、しても、しきれません。
児童精神科の予約は、とにかく空きがありません。
悩んでいたら、とりあえず予約してみるのをお勧めします。
おわりに
2~3歳の頃の息子は、今思えば、本当に手がかかる子でした。
「なんでこの子は、こんなに大変なんだろう?」
「わたしの育て方が悪かったのかな」
そんな風に、毎日自分を責めては、泣いていました。
でも、あの頃の「育てにくさ」にはちゃんと理由があったのです。
もしかしたら今、あの頃の私と同じように、
「うちの子、なんか違う気がする」と悩んでいる方が、この記事を読んでくださっているなら。
どうか、あなたの感じている「育てにくさ」や「違和感」を、なかったことにしないでください。
「あなたのせいじゃないよ、ちゃんと向き合っているからこそ、気付けたんだよ」
そう声をかけて、ぎゅっと抱きしめたい気持ちでいっぱいです。
発達の特性は、その子の個性であると同時に、生きづらさにもつながることがあります。
でも、早めに気づいて動くことで、できるサポートもたくさんあります。
サポートを受けるのは、子どものためだけではありません。
日々、子どもに向き合うわたし達の心にとっても、ぜったいに必要だと思います。
あなたの気づきが、わが子の未来を変える第一歩になるかもしれません。
どうかひとりで抱え込まず、まわりの手をとってみてほしいです。
あなたは、ひとりじゃありません。
苦しい気持ちは、コメントに吐き出していってくださいね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
それではまた、次の記事でお会いしましょう。
\発達に凸凹のある子どもへの対応を理解するのに、とっても役立つ1冊でした!/

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