小学1年生で不登校になったわが子を「受け入れる」ということ―親の心のあり方―

不登校・分離不安
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はじめに

こんにちは、やななです。
不登校になった子どもを見守る「心のあり方」について、わたしの想いを綴ります。

情緒支援級に通う息子、現在小学2年生。

絶賛、不登校です。(現在は、児童精神科に入院しています

息子が不登校になったのは、小学1年生の6月のことでした。


不登校について調べても、出てくるのは高学年や中高生のことばかり。

こんなに早く不登校になってしまったわが子の行く末を、心配するばかりでした。


はじめは「このまま学校に行けなくなったらどうしよう」と不安でいっぱいで。

結果、息子を無理に学校に行かせて、うつ状態にさせてしまいました。


今わたしは「息子が学校に行けなくてもいい」って、心から言えます。

そりゃ、行ってくれるに越したことないですが、もし行けなくたって大丈夫。

生きて笑ってくれていたら、それでいいと思えています。


そう思えるまでの、わたしの心の揺らぎについて。

また、不登校の子どもを見守る、今のわたしの心のあり方について、お話させてください。

長くなりますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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わたしが感じた不登校の「しんどさ」と「葛藤」

わが子は、幼い時から、母子分離が不得意な子どもでした。


小学校に入って、はじめは一生懸命がんばっていた息子。

それでも段々と「学校がつまらない」と言うようになっていました。


そこに追い打ちをかけるような、支援担からの厳しい声掛けや指導。

息子の心は、ぽっきり折れてしまったのでした。


6月に入ってから、どこか表情がなくなり、元気がなくなってしまいました。

朝も「起きたくない」「学校行かない」と動かず、うずくまる毎日。

それでも「学校に行けなくなったらどうしよう」という、わたしの不安を息子に押し付けて、登校させてしまいました。


結果、かかりつけの精神科に行った際、主治医に強く叱られました。

「わたしが親なら、こんな状態で学校なんか行かせない」と。


そこで、一気に目が覚めました。

目の前の虚ろな顔をした息子をみて、愕然としたことを今でも忘れません。

わたしは「学校に行かない=失敗」と、どこかで思い込んでいたのだと思います。


休まず毎日頑張って登校して、順調に大学まで進んだわたし。

頑張って学校に通っていたわたしにとっては、「学校に行かない」のは、あり得ないことでした。


それでも、部屋をおぼつかない足取りでうろうろして、誰とも目を合わさない息子を見て。

わたしの常識を押し付けたらいけないのだと、その場で強く思いました。

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不登校になったわが子に振り回される日々

それから不登校になった息子と、24時間べったりの生活が始まりました。

満たされない心をうったえかけるかのように、増えていく無茶な要求の数々。

初めは、すべてに対して、必死に応えようとしました。


朝起きた瞬間から「今日は海に行きたい!」「水族館へ行く!」などと、遠方へ出かけることをよく要求されていました。

それを断らず、苦手な運転を頑張って、遠くまで連れて行くものの。

すぐ疲れてしまうのか、30分もたたずに「帰りたい」と言い、癇癪を起こす息子。

お土産屋さんで「これが欲しい!」と暴れて、汗だくで引きずって帰ったこともありました。


「もう、この子といっしょに、世界から居なくなりたい」

そう思ったことが、正直何度もありました。

先の見えない真っ暗なトンネルのなかで、ふたりきり取り残された気持ちでした。

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不登校のわが子を受け入れるために――まずは親である「自分を見つめなおす」こと

悩んでいたある日、相談支援員さんから電話がきました。

最近の息子の現状を伝え終わると、ひと言。


「お母さんが、できることの線引きをしていいんだよ」

「要求に応えられること、逆にできないことは、親が決めたらいいんだよ」


わたしはもともと「他人軸」でしか動けない人間でした。

その頃は、完全に息子の軸でしか、動いていませんでした。


そこから「自分軸」を見つめなおしました。


「ここまではできるけど、これはどうしてもできない」

「どれだけ暴れても、癇癪を起こしても、できないことはできない」

「わたしはわたしの人生、この子はこの子の人生を生きている」


紙に書きおこしたり、それを何度も読み込んだりして、自分の中に落とし込んでいきました。


そのうちに、息子は「自分で休む選択をしたのだ」と、思えるようになりました。

親が、子の人生の舵取りすることは、できないのです。

親は、子の選択を見守り、支えることしかできないのです。


わたしが何と言おうと、この子は、この子自身の人生を生きていきます。

自分の価値観のとおりに、この子を育てるのは無理で当たり前。

だってこの子には、この子の価値観があって、生き方があるから。


そう思えてからは、すこし楽になったように思います。

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今のわたしが思う、不登校の子をもつ親の、心のあり方

子どもが学校に行けないことは、親にとって、大きな「問題」のように思えてしまいます。

でもこれは「問題」ではなく、人生の「過程」のひとつなのだと捉えるように、心掛けています。


どんな経験も、人生に不要なことなんてないはずです。

人より遠回りしても、何とかゴールにたどり着けばいいのです。


それに子どもはみんな、自分で「育つ力」を持っています。


わが子は学習障害もあり、まったく自宅で勉強をしていません。

それでも、スマホをつかってアニメーションを作る力を、持っています。

恐竜の名前をよむために、自分から「カタカナを読みたい」と言い出したこともありました。


「やりたいことが見つかった時に、子どもの学ぶ力が湧いてくる」

わたしは、そう信じて、息子を見守ることにしています。


親の不安な気持ちが、子どもにも伝わってしまう経験が、皆さんもおありだと思います。

母の安心が、子の心の安定につながると信じて。

日々、自分自身を見つめなおしています。

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おわりに

とはいえ「不安にならない」のがいちばん難しい、不登校児の育児。

綺麗ごとだけじゃ済まない世界だと思います。

泣いたり怒ったり、繰り返してここまでたどり着きました。


「自分自身のことなら、何とでも努力できるのに、わが子のことはどうにもできない。」

何度も何度も無力感に襲われてきましたし、今だって、その渦中にいます。


だけど、これだけわが子と密に関わることのできる育児は、ある意味、貴重だとも思います。

エクストラハードモードの育児だけど、人生経験の幅が大きく広がりました。

親であるわたしも色々なことを勉強し、自分を見つめなおし、日々沢山の出会いもあります。


上手くいかない、思い通りにならない日々でも、寄り添うことを大切にしたいです。

いつも「わが子のペース」に合わせて、伴走できる母親でありたいです。


わが子の心と、自分の心、両方をやさしく抱きしめながら。

今日も明日も、子とともに歩んでいきたいと思います。


それではまた、明日。


\不登校育児で疲れ果てた、ママの心の充電にやくだつ1冊です!/

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