はじめに

こんにちは、やななです。
今日は、娘を送り出した朝にうまれた「強い喪失感」について探っていきます。
「ママ、ばいばい!」
今朝。
娘が、迎えにきた児童発達支援の車に、乗り込んでいきました。
ニコニコの笑顔で、お友達といっしょに座る、楽しそうな娘の姿が嬉しかった。
それなのに、ひとりで部屋に戻った瞬間、わたしは涙が止まらなくなりました。
ようやく今日は、予定のない、自分ひとりの時間が持てる1日です。
本当なら、ほっとした気持ちでいっぱいになるはず。
どうしてか分からないけれど「寂しい」気持ちがあふれてきたのです。
何故こんなに心が不安定なのか、自分でも知りたくて、この記事を書いています。
長くなりますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
寂しさが押し寄せた朝、「母である自分」にすがっていた日々の気づき

「行ってらっしゃい!楽しんできてね!」
わたしは、笑顔で娘を送り出しました。
部屋に戻った瞬間、なぜだか「喪失感」でいっぱいになりました。
「何をすればいいのかわからない」という不安な気持ちにも近かったと思います。
あまりにも静かな部屋に、心がざわざわとします。
思えば、この数か月、いや子どもが生まれてからずっとかもしれない。
いつしか、わたしは「母親であること」が自分の軸になっていました。
息子の日々の癇癪の対応、不登校や入院。
“きょうだい児”である娘のサポート。
わたしは「母として」ずっと必死に、ここまで走り続けてきたと思います。
息子が入院して、娘が大好きな児童発達支援に行って。
気持ちが落ち着いた今「自分が消えた」ように感じてしまったのです。
わたしは「わたし」を失い、子どもがいないと存在価値が見いだせなくなっていました。
今まで「母親である自分」にすがっていたのだと思います。
自分というものを見つめなおす暇のない毎日でした。
今、真っ暗闇のトンネルの中に、たったひとり取り残されたような気持ちがします。
「わたしの居場所」はどこ?――「母」でないわたしが消える恐怖との闘い

母という役割が薄れた、たった今、わたしは恐怖を感じています。
「自分が空っぽになる」ような感じがするのです。
この「空っぽになる」感覚は、きっと「はじめて」ではないのです。
育児中、何度だってわたしは「わたし」を探してきました。
保育士資格の取得に没頭したり、夜な夜なハンドメイドにのめりこんだり。
そして今は、こうして「書くこと」をひたすら続けたり。
「自分という存在」の手応えを、ずっとずっと探してきたのだと思います。
「誰かに認められたい」気持ち。
「人と繋がっていたい」気持ち。
その気持ちが、わたしをつき動かしていた、原動力だったのでしょう。
育児や家事をする「母」である自分。
ひとりの人間である「わたし」。
バランスをとるために必死で、不安定なつな渡りをしてきた。
いま、そのバランスが崩れてしまったのだと思います。
わたしが「わたし」をすこしずつ肯定していくために

子どもを産んだ以上、「母であるわたし」は一生続いていきます。
でも、それだけでは苦しくなってしまうということを、今ひしひしと感じています。
わたしは、来週から、新しい環境へ一歩を踏み出します。
「B型就労」を通して、自宅でも在宅ワークができるよう、勉強をしていくつもりです。
入院中の息子の成長を見守り、祈りながら。
安心して眠れなくなってしまった、娘の心のケアをしながら。
わたしは「わたしの人生」を生きられるように、がんばりたい。
「わたしの人生」を楽しむ、その背中を、子ども達にも見せたい。
きっと、すぐには難しいかもしれない。
けれど、崩れてしまった心のバランスを、すこしずつ取りもどしていきたいです。
おわりに
娘と離れた朝に気づいた「喪失感」。
わたしが「わたし」と向き合うための、はじめの一歩だったのかもしれません
「母であるわたし」は永遠に、今のままつづくように思います。
だけど、いつか子どもは自分の足で、自分の人生を歩きだす日がきます。
その日までにわたしは「新しいわたし」を作りあげていきたい。
わたしは「わたしの人生を歩んでいるから、大丈夫だよ」って、子ども達に伝えたい。
同じように「母親」を日々がんばっているあなたへ。
すこしでも「あなたらしい時間」を持てることを祈っています。
不安定な日々だけれど、何度も悩む日々だろうけれど。
こうして言葉にしながら、一歩一歩、前に進んでいきたいです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
すこしでも共感やほっとした気持ちをお届けできていたら、嬉しいです。
それではまた、明日。
\かわいいアイマスクを見つけました!わたしも癒されたいです!/

コメント