【児童精神科入院】子どもを入院させた母の葛藤と決断|罪悪感から抜け出すまで

【児童精神科入院】子どもを入院させた母の葛藤と決断|罪悪感から抜け出すまで 不登校・分離不安
【児童精神科入院】子どもを入院させた母の葛藤と決断|罪悪感から抜け出すまで
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はじめに

こんにちは、やななです。
今日は、少しだけ胸がぎゅっとするお話をさせてください。
うちの息子は、今年の夏、児童精神科に入院しました。
今まさに悩んでいるお父さん・お母さんに向けて、
「あの日の私」に伝えたかったことを書いていきます。

母子分離不安の強い子どもを、児童精神科へ入院させる。

この決断をした時、「他人に任せるなんて、母親失格だ」と強く自分を責めていました。

今、その頃の自分に声をかけられるとしたら。

「あの選択は間違っていなかったよ」

「あれは逃げじゃなく、家族ごと治療するための大事な選択だったんだよ」

そうやって優しく肩を支えてあげたいです。


この記事では、私が児童精神科への入院を決めるまでの葛藤、入院直後の罪悪感。

そして「これは必要な選択だった」と胸を張れるようになるまでの経緯を、そのまま書いていきます。

今、同じように悩んでいるお父さん・お母さんに、少しでも届きますように。

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なぜ子どもを児童精神科へ入院させる決断をしたのか

7歳の息子の暴力、そして不登校、家庭の崩壊――限界だったあの頃

入院を考え始めた頃、私たち家族は、毎日が限界寸前でした。

別居前の夫はいつも苛立ち、発達特性の強い息子に怒鳴り散らす日々。

そんな理由もあってか、当の息子は情緒がいつも不安定で、要求が通らないと暴言を吐き、暴力を振るうように。五月雨登校から完全不登校になり、24時間母子がべったりの状況になりました。

小さかった頃は些細な癇癪と思っていたものが、成長とともに激しさを増し、抱きしめても何をしても落ち着かず、ただただ殴られることを耐える毎日を過ごしていました。

私自身、夫と息子を怒らせないように、そして娘を守らなければと、心がすり減って、

「この状態をなんとかしたい、でも、どうすればいいのか分からない」

そんな出口の見えない日々の中、必死で母親としてそこに立ち続けていました。

正直、体も心も壊れかけていました。

「育児の失敗なのか?」と自分を責め続けていた毎日

そこにあったのは、ただひたすら自責の念だけでした。


「わたしの育児がダメだったから、息子がこうなってしまった」

「夫がおかしくなったのは、私のせいかもしれない」

「娘を守り切れていない、全部わたしのせいだ」


そんな時、SNSや周囲の何気ない言葉が胸に突き刺さりました。

「母親のしつけができていないから、こうなったんだ」

「愛情不足じゃないの?」

そんな声が聴こえるたびに、自分を責めて、責めて、責め続けていました。


正しく息子を、娘を、育ててあげられなかった。

夫のことも助けてあげられなかった。


そんな風に思い込んで、全てをひとりで抱え込もうとしていました。

主治医からの提案と、入院を選んだ理由

「低学年でも入院できる所が、近くにあります」

かかりつけでそう言われて、思い切って転院した大きな病院。


はじめは、うちの子が入院なんてできるはずがないと正直思っていました。

暴言を吐かれること、暴力を振るわれることが、当たり前の毎日。

心が麻痺して、入院なんてさせてもらえる状態じゃないだろうと、思い込んでいたのです。


「母子分離不安の強いこの子を、自分から突き放すなんてできない」

何より、そう思っている自分がいました。


だけど、私ひとりで状況を打破する力がないことも、重々にわかっていました。


夫と別居をはじめてからも、母子分離不安や、激しい暴言暴力は続きました。


そんな息子にたいして、

「暴力をやめられないなら、入院になるからね」

主治医の先生は、初診の時から、何度も何度も語り掛けました。


そして数か月変わりのない息子を診察してもらった、ある日のこと。

「暴力が続いているから、入院してもらうよ」と、先生ははっきり言いました。


わたしは、一気に現実に直面することになりました。

心のどこかで「ひとりではどうにもできない」と分かっていたけれど、

とうとうこの日が来たのだなと思いました。


「家族の再生」のためなんだと、何度も自分に言い聞かせ、当日息子を送り出しました。

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入院させた直後、母親として感じた“強い罪悪感”

「人に任せるのはダメな母親」という思い込み

息子を病棟に預けて帰る車の中で、涙が止まりませんでした。

泣きじゃくる息子の姿を何度も思い出しては、後悔の念でいっぱいになりました。

「本当にこれでよかったの?」

「母親が、母子分離不安の強い子どもを、自分から突き放すなんて」

ずっと頭の中で自分を責める声が響いていました。


入院は「息子のため、ひいては家族のため」と分かっていました。

でも、すぐに心はついていきませんでした。

「他人まかせにした」「しつけができないダメな母親」

そんな言葉が、心のどこかにずっと刺さったままでした。


本当は、誰よりも息子のことを想って決断したはずなのに。

息子の涙を思い出しては、自分の胸を何度もナイフで抉るように、自分を責め続けました。

それでも子どもの安全がいちばんだった

罪悪感が襲い来る中、ただひとつだけ、確かなことがありました。

「あのままでは、息子も娘も、誰も助からなかった」

私ひとりだけでは守りきれない、娘の安全。

私という母親の力ではどうにもならない状況。


その現実を見ていたからこそ、私は入院を選んだのです。

あのときの私を、誰が責めることができるでしょうか。

身を引き裂くような別れが、必ずいつか息子のためになると信じたのです。

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児童精神科での入院生活で、子どもに起きた変化

専門家によるケアで安定していく様子

不安でいっぱいだった私の気持ちとは裏腹に、

入院して数週間、息子はみるみる落ち着いていきました。

病棟には、子どもの心について知識を持った看護師さん、心理士さん、医師が揃っています。

怒りや不安が爆発しそうになったとき、時には保護室を利用しながら、

適切に、冷静に、息子の気持ちに寄り添ってくれる人たちがいました。


あんなに私から離れることを怖がっていたあの子が、

「ママ、またね!」と病棟から笑顔で手を振って見送ってくれるたび、

胸の奥がスッと軽くなるのを感じました。 


「この環境でしかできない治療が、たしかにあるんだ」

身を引き裂くような選択が間違っていなかったと、思えた瞬間でした。

家庭では難しかった“環境調整”の大きな効果

家庭が、子どもにとって一番落ち着ける場所だと信じてきました。

もちろん、家庭には家庭の良さがあると思います。


けれど、子どもが情緒的に不安定なとき、

家ですら、刺激が多すぎる場所になり得るのだと思いました。


病棟では、

  • 生活リズムの調整
  • 過度な刺激を取り除いた環境
  • 安全な距離で関われる大人が複数いる
  • 適切な薬の調整

こうした「環境調整」が整えてあり、

息子はそこで初めて「自分」を取りもどすことができました。


家庭で全部抱えようとしていた私。

「私ひとりでは、どうしてもできないことが、あったんだ」

そう思った時、はじめて、自分を責める気持ちがやわらぐのを感じました。

私自身の負担が減り、冷静さを取り戻せた

入院は、息子の治療であると同時に、

私にとっても「自分を見つめなおす時間」になっていました。


四六時中張り詰めていた神経が少しずつ緩んで、

「私ひとりでは限界だったんだ、人に頼らないと生きていけないんだ」

と、初めて気づくことができたのです。


何より、親が壊れてしまったら、子どもを守れる人はいなくなる。

そのことを痛感しました。


私は脆い母親です。

それなのに「ひとりで何とかしないと」と思ってきました。

でもその弱さは、悪いことではない。

その分、沢山の人に助けてもらいながら、生きればいいんだ。

いつしか、そうやって思えるようになりました。

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そして気づいた「入院は間違いじゃなかった」という確信

子どもが回復していく姿に救われた

息子は今、試験登校に挑戦しています。


以前までは、逃げ回ったり、泣きじゃくったり、癇癪を起こしたり。

母子分離ができず、学校では、大暴れする姿しか見られなかった息子。


今は緊張して固まる場面があっても、自分で呼吸を整えられるようになり、

自分から「行ってきます」と学校へ迎えるようになりました。


この姿を見たとき、私は心から思いました。

「入院は、息子の人生に必要な休息だったんだ」

「私の選択は間違いじゃなかったのだ」

息子の背中が、とても大きく頼もしく見えた瞬間でした。

入院は“育児放棄”ではなく“必要な治療”だったと今は言える

あの日、泣きながら病棟を後にした私に、

今の私はこう伝えたいです。


「息子のために大きな決断ができて、えらかったね」


入院は、子どもにも親にも必要な治療です。

間違いなんて、ひとつもありませんでした。

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同じように悩む親へ伝えたいこと

あなたの選択は「甘え」でも「逃げ」でもない

子どもを親の意思で、児童精神科に入院させるということ。

罪悪感を抱くのは、当然のことです。

それだけ子どもを大切に思っている証だと思います。


でもその選択は、決して弱さでも甘えでもありません。


何かの理由で自分を見失ってしまった子ども達に治療を受けさせることは

親にしかできない、大事な決断なのです。

治療は家庭だけで背負うものじゃない

子どもを育てる親なら、子を入院させることに、誰しも責任を感じると思います。


でも、親がひとりですべてを抱え込む必要はないのです。

家庭でできることに限界があるのは当たり前です。


医療の力、専門家の力、環境の力を借りることは、

子どもを守るための選択肢のひとつ。

子どもが元気になるために、支援を受けるのは、間違いじゃない。


どれだけつらくても、助けを求めることは悪いことではないと、今なら言えます。

むしろ、それは親子が、そして家族が、前に進むために必要なことなのです。

悩んでいるあなたは、決して弱くないし、逃げてもいない。

ただ子どもを大切にしたい、一心にそう願っているだけなのです。

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おわりに|子どもを入院させたことは、未来につながる大切な一歩

入院を決断した日のあの涙も、罪悪感も。

今の私にとっては、すべてが必要な通過点だったのだと思います。


すっかり背が伸びて、頼もしくなった息子の姿を見て、

今ならはっきりと言えます。


入院は間違いじゃなかった。

未来のための、大事な一歩だったのだと。


同じように入院を悩んでいる親御さんへ。

どんな選択をしたとしても、それは子どもを想うからこそです。

入院させることに罪悪感を持っても良い。

それは親として当然の気持ちだから。

でもどうか、決断したあなた自身を責めすぎないでほしい。

いつか必ず、親子で穏やかに笑い合える日が来ます。


私たちと一緒に、大きな一歩を踏み出してみませんか。


初めての試験登校を無事に終えて誇らしげに帰ってきた息子。

今日は、たくさん褒めてあげたいと思います。


これからも私たち親子を見守っていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

次の記事で、またお会いしましょう。

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